「エールの街豊橋」パッケージ登場

激動の時代を通じて数多くの楽曲を生み出した、福島市出身の作曲家古関裕而さんと、その妻である豊橋市出身の金子さん。
(株)平松食品では、それぞれ海を眺めている裕而さん・金子さんをモチーフとしてデザインした、特別なパッケージを作ってみました。

豊橋ってこんなステキな街

私たち(株)平松食品のふるさとである愛知県豊橋市は、1906年(明治39年)8月1日に全国で62番目の市として誕生しました。
豊橋市の人口は約38万人。市域面積は261.88平方キロメートルです。

東は弓張山系を境に静岡県と接し、南は太平洋、西は三河湾に面しており、豊かな自然と温暖な気候に恵まれています。

豊橋駅を中心に商店街が発達しています。また、駅前から市東部方面へ路面電車(市電)が通り、市民の足として親しまれています。

豊橋は手筒花火の発祥の地でもあり、年間4千人以上の花火衆が手筒花火を揚げております。手筒花火は市内各所で行われる祭りや「炎の祭典」などのイベントで揚げられます。

また豊橋ちくわや濱納豆、菜めし田楽や三河つくだ煮など、様々なグルメもございます。その中から、今回は三河つくだ煮について詳しく見てみましょう。

豊橋はつくだ煮の名産地!!

この日本が誇る家庭の味「佃煮」が豊橋から、北は北海道・南は沖縄まで全国に出荷されているなんてご存知でしたか?
実は佃煮の名産地は各地にあるけれど、その中でも豊橋は名産地中の名産地なんです♪

佃煮は江戸(東京)佃島が発祥であることはご存知かと思われますが、おいしく保存性に富むことから、参勤交代での必須アイテムとなり、徐々に地方へも広まったのは当然で、徳川家のお膝元、三河の吉田(豊橋の昔の呼び名)へは、瞬く間に伝えられたのでした。

1869年(明治2年)、日清・日露両戦争により、その後も中国大陸との間を往復した軍隊のお陰で豊橋は確実に発展したのです。
多数の兵隊さんの胃袋を満たす保存食として、豊橋の佃煮は増産に次ぐ増産を重ねました。

豊川(とよがわ)の水流が三河湾で海水と絡み合う絶妙の調和によって、自然の恵みが育まれ、ふっくらとした旨味の広がるあさり佃煮の原料が、かつては溢れる程に獲れました。

醤油だけでなく砂糖を主体とした調味を工夫し、新鮮な魚貝にとどまらず、豆・するめ・小女子・削節・昆布なども原料に、佃煮を実用的食品に一変させ、豊橋の名産地としての地位を確立しました。

また、1922年(大正11年)には、平松安治が「山安平松商店」(現在の(株)平松食品の前身)を創業し、地元のあさりやハゼを佃煮に加工することを始めており、現代に至るまでその味わいは受け継がれております。

「エール」特製パッケージ 「エール」特製パッケージ
「エール」特製パッケージ
「エール」特製パッケージ